道場町の歴史History

自然の恵みと四季を楽しめる
アクセス良好で暮らしやすいまち
町のイベントや充実した施設もあり、
子育てにも最適。
縄文
弥生
Period
~約12000年前から
1700年前~
道場町は
太古の時代から栄えてきた歴史と伝統あるまち。
町内各所に、縄文時代から弥生時代にかけて人々が生活を営んだ形跡があり、土器や遺跡が出土しています。
道場町は昔から人々が住みやすい土地柄でした。


さんかくぶちさんしんいちぶつしじゅうきょう
古墳
Period
~580年頃~
聖徳太子が仏教を広げるための道場として、この地にお寺を建立されたのがはじまり。

とっこさん かぶらいじ
寺名の由来は、 太子が鏑矢を射ると敵は戦わずして兵を引いたことによるといわれています。

さんこさん たいふくじ
聖徳太子が三歳の時に疱瘡(ほうそう)にかかり、乳母などとこの地を訪れ、病が治るようにと滝修行をされたところ、結願(けちがん)の日の朝方、十一面観世音菩薩が夢枕に立ち病が急速に治癒しました。太子はこの霊験あらたかなるを喜ばれ、人々の幸福を願い太福寺が建立されました。

聖徳太子の命日とされる2月11日に、毎年木彫りの雀を太子像にお供えし、無病息災を祈り、前年に生まれた檀家の赤ちゃんに授けられる行事が続いています。
江戸
Period
~1635年-1862年頃~
道場の町筋は、
宿場町や参勤交代のルートであり、人々で賑わっていた。

道場の町筋は古くからの街道であり、 江戸時代には宿場町として旅籠(はたご)が立ち並んでいました。 参勤交代のルートでもあり、 丹波杜氏が西宮へ酒造りに通った道(くらがり街道)で、 有馬への湯治客の往来などで賑わっていました。

大正
Period
~1914年頃~
神戸市の水源を担う日本1、2位の水質
千苅貯水池堰堤が築造された。
せんがりちょすいえんてい

1914年5月 着工
1919年5月 完成(貯水量は約600万㎥)
1929年4月 貯水池堰堤のかさ上げ工事着工
1931年8月 完成
現在の貯水量は、拡張前の2倍の1,161万㎥に。

昭和
Period
~1935年頃~


商店が立ち並ぶ商店街へ。
時代の変化とともに宿場町としての役割が薄れ、 今から70年ほど前には、商店が立ち並ぶ商店街となり、 道場町内だけでなく近隣地域の経済活動の中心となっていました。
1951年合併調印式


1951年3月、神戸市との合併の賛否を問う住民投票を経て、村議会で合併案が満場一致で可決。
これを受けて同月、合併調印式が行われ、道場町は産業・文化・観光などの幅広い面で、躍進途上にある神戸市の一翼を担うことになりました。
神戸市との合併は7月1日に実施され、7月16日に道場村の解村式並びに合併記念式典のほか、記念行事が全村挙げて行われ、郷土踊り、懐古行列、子ども神輿などが繰り出されました。